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チャイティーヨー山(KYAIK HTI YO) [海外]



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さてミャンマー 山編。
前回のチャウンタービーチからさらに田舎の観光客が格段にすくないヌウィサン(Nwesang)ビーチに移動後ヤンゴンに戻りました。
着いた翌日にチャイティーヨーというところに移動します。
ヤンゴンからバスで5時間。8000チャット(800円くらいかな)
チャウンターへの道と違い、こちら方面は結構整備されていて快適。
MEMO0067.JPG
といっても日本だったらひっでえなぁというレベルに変わりありませんが・・。
本当は別のところに行きたかったのですが、ゲストハウスのマネージャーに相談したところ日程がきつくなりそうだからということでチャイティーヨにした。
ここはミャンマー仏教3大巡礼地の1つということだし、しかも山の上のパゴダがそれだという・・・おもしろいじゃない?
ついてそうそう、まずガイドブック(そもそもこれが10年前のものですが笑)には地図が載っていないほど小さい扱いの場所なので(ホテルの情報もない・・)独居房のような部屋をとり街へ出て街を中心だけでも把握する。
だいたいアジアの田舎って1つのメインストリートが道路沿いに家や商店が多く、それ以外はほとんどが水田や畑などで家はあまりないという構造が多いけど、ここもそうだった。
さすが巡礼地だけあってみやげ物屋が多い。
ずっと通りの端までぶらぶらしていく。
と、なにやらみんな同じような杖を持って反対側から歩いてくる。
弁当箱や水筒なんかも持っている。
フォト
と、だんだん山っぽくなってきた・・・
もしかして・・・途中で聞いてみるとこの道はチャイティーヨーパゴダ(山頂)に通じているという。
バスが14時前に着いて、今は14時くらい。
そもそも標高がどのくらいなのか、距離がどのくらいなのかわからず気付けば既にジョギングに入っていた。
しかも山頂表示は英語は全くなく全てビルマ語。
だけどかなり多く売店というか休憩所が1kmに1つくらいはあるし、分岐もほとんどないので迷うことありませんでした。
MEMO0069.JPG

山道は特に日本と変わったところは感じませんでした。
しかしながらゴミが多いこと多いこと。
これは街でもそうなんですが、皆さん基本的にゴミは道端に捨てるので山でも当然同じです。
男も女もつばを良く吐きます。特に男はこれでもかと吐きます(笑

まあ、そんなこんなでなんとか進んでいたのですが、さすがに時間や距離が後どれくらいなのか全くわからずの登るのは非常につらい・・・
途中の休憩所でコーラを買い休憩。
ちなみにコーラといっても昔ながらのビンのコーラで、いつ仕入れたのかあまり知りたくないようなものです。
そこでおじさんが残り4mileだと教えてくれました。
約6km。
ここでやっとまともな」情報。助かりました。
おまけに売り物のバナナももらってしまいました。これだからミャンマー人はいいね。

しかし、こんな無計画で不安極まりない。
いくらいつも無計画だっていったってここまでひどくはない。
山をなめているな・・・。
途中で引き返そうかと思ったが、まだ登ってくる人がちらほらいたのとさっき距離を聞いて、だいたい日暮れまでには山頂は間に合うだろうということで続行。
山頂に行けば暮れてしまっても3大巡礼地だ!何かあるだろ!ということで登っていきました。
しかも山には結構住んでいる人がいて、途中から岩に洗濯物が干してあったりしてこりゃ大丈夫そうだなと確信しました(笑
距離はわかったけど地図も何も持っていない(というかほとんど売ってない!)ので先がわからないのは相変わらずなので精神的に疲れる・・。
中間点を過ぎてからは30分以上歩きました。

ところでミャンマー人の山登りは・・・当然サンダルです!
いや、これはすごいですよ。
しかもほぼ100%でしたね。
走っているこっちを見て驚いていたけど、こっちは磨り減りまくったサンダルで登っているあなた方の方がすごいと思いますけど・・・
サンダルっていったってかかとが留められるやつではなく、ビーチサンダル型のやつですよ?
しかも、ミャンマーではロンヂーという伝統的な巻きスカートを男も女もかなりの率で着用していますが、それで登っている人も結構いますからね。
観光地ですからズボンで着ている方が多いのは多いですが。
山スカートどころの話じゃありません!
それに加えて先ほど住んでいる人がいるとかきましたが・・・
水は当然必要なわけで上にいくとこんな光景が結構見られます。
すごいわ・・・
MEMO0075.JPG

ここらへんでやっと尾根にのった。
MEMO0073.JPG

途中から舗装路に合流。
こちらから登ってくるのが一般的らしい。
でも、こっちはトラックの配送に乗ってくるので面白くない。
ちなみにこんな篭屋みたいな商売もあります。すごいです・・・
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さらにいくと商店が立ち並び御岳山の上のもっとずっと長いようなのが続きます。
MEMO0077.JPG

ついに境内へ。
ここからは裸足にならないといけません。
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日が暮れる前に山頂のパゴダに到着。
あれかー!
左手に見える際どい位置でとまっている石の上にパゴダが築かれているのが見えますか?
MEMO0079.JPG

ズームすると
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上は山道にちらほらとしかいなかったのが信じられないくらいすごい数の人。
みんな途中までトラックに乗れるルートで来ているんですね。
MEMO0079.JPG

岩の近くへ。
皆さん熱心にお祈りしています。
私も日本式ですが、正座してお祈りと瞑想してきました。
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このへんで日暮れ。

さて、帰りはどうするか・・・
こんなに人がいるからには帰る手段があるということ。
山道は暗闇だし、ヘッドライトはホテルの部屋。
さっき皆こっちから登ってきているのだろうと思われるルートをとりあえず降りることにした。
走って降りていたら途中からミャンマー人と競走になった(笑
さっきの人を乗せて上まで担ぎ上げる商売の人のようだった。
当然、彼はサンダル!
道は御岳山のあの舗装路の登山道を思い出すような感じのところ。
距離的にもほぼ同じだった。
結局、最後の、というかトラック乗り場までいっしょに走った。
まあ、なんというか・・・すごいわ・・・・

トラック乗り場はまだまだ山の中腹でそこからはトラックで下りるようだ。
何も情報がないのでよくわからないが近くのトラックに人が乗っているので聞いてみると確かに下山できるようである。
ちなみにトラックですが、本当のトラックです(笑
小さいダンプに板を渡してあり、そこに座る形です。
これがまたすごいんです・・・
飛ばす飛ばす!
ブレーキは急だし、何度も外に飛び出すかと思いました。
ミャンマー人は結構平然と乗っています。
途中で料金を回収しようとしていたのですが、飛び出しそうで渡せない(爆
だから、下車するまで払えませんでした。
これらが暗闇の中で起こるものですから、かなりのスリルでした。
しかもノースリーブのシャツだったので寒いし。
そんじょそこらのジェットコースターよりはるかに恐いです。
なんてったって安全ベルトはありませんから!
やっと到着。
MEMO0081.JPG

暗くてよくわかりません。
翌日、早朝にトラックターミナルの爆音の案内がホテルまで届き、5時に無理やり起されたので散歩に出た時に改めて撮ってみました。
MEMO0082.JPG

これは(笑
MEMO0084.JPG

ヤンゴンへの」帰りに見つけた地元近くのローカルバス
MEMO0085.JPG

この街は井戸が主な水源なのでしょうか。
しかし、これはひどい(笑
井戸から無理やり皆勝手に吸い上げているような気がする
MEMO0086.JPG

この街は今のところこの山のパゴダしかありません。
ここを登ってしまうと本当に何もありません。
ところが!!
あと2,3年でこの街をアジアンハイウェイが通ります!
これは素晴らしいことですね~
中国からアジアを横断する大きな道ができるのですがそれがこの街を通るんですね~
この道、ロマンですね~
主要な起点と終点は東京~トルコ!
ロマンチック~
全部開通したら半年くらいかけて道に沿って旅してみたい!
たぶん全部は当分できないでしょうけど・・・

ということでミャンマー 山編終了。
あとは適当に番外編的に書くかもしれません。

それと今回の山ですが、後にヤンゴンでわかった情報では高さ3616feet(1100m) 距離約7mile(11km)でした。
街の標高が不明なので高低差も不明です。

パノラマチャイティーヨー.JPG


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お久しぶりッツ ミャンマー(海偏) [海外]



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2週間近くミャンマーという国に行っていました。
この国はよく行く国の1つなのですが、今回は約6年ぶり!
前回来た時はやっていなかった走ることや泳ぐことや登ること。
それらを全部くっつけちゃおうってことでミャンマーで走って泳いで登ってな毎日を過ごしていました。
相変わらず人の良い国で去年の大規模デモ、一昨年の大型サイクロンと苦しいことが続いておりかなり心配していました。
行ってみれば表面上はあまり変わってなくてちょっと安心しもしたけど、やっぱり色々複雑です。
今日は走って一番楽しかったところを紹介します。
紹介っていってもあんまり写真撮らなかったので大したことはないです(笑

中心都市のヤンゴンからおんぼろバスでダートコースを6時間のところにあるチャウンタービーチ!
これでもヤンゴンからの便なので結構見た目は良いバスでした。
それでもかなりガタがきてるのでゆるい坂でもちょいときついです。
MEMO0008.JPG
こういう光景はどこに行くにもよくあることです。

途中はかなりスリルのある橋。
見にくいですが、木でできたガタガタの橋です。
奥多摩の沢にかけられた橋よりも危険な感じがします。
ミャンマー人も興味津々。
MEMO0012.JPG

中産階級以上のミャンマー人の観光地で現地に行った感じではかなり人気の場所のようです。
まだ、ハイシーズンの入口の季節のようですが、ビーチに近いホテルはあまり空きがありません。
ビーチに近いホテルは結構立派です。
が、この街には電気が基本的にありません。
個々で自家発電したり、それらを買ったりしているようです。
だから自家発電設備を持っているところは夜12時ころまで照明がつきますが、ないところは10時くらいで終わってしまいます。
また、日中は暑いですが日が沈むと20℃を下回るような気温で結構肌寒いですが、お湯も基本的に出ないところがほとんどなのでシャワーは日のあるうちにおわらせるのが良いですね。

私が着いたときも良いところは空きがなく、初日は4ドルの宿に泊まりました。
まあ、全然不自由はしませんが。
右手に見えるのが泊まったところ。
MEMO0013.JPG
ビーチから1本道を挟むだけで宿代は半値になります。

ビーチはこんなところ。
本当になにもないのであまり写真撮らず。
とにかく見えるところまでずっと走ってみようと思ったがホテルがあるところ以外は何もなく、ひたすら砂浜なので走るのは結構つらい。
でも、夜はすごい星です!
山でなくても天の川も見えます。
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真ん中の乳房のようなものはパゴダ。
海岸沿いの場合、突端ごとにパゴダを作っているようですね。
MEMO0014.JPG

MEMO0015.JPG

海岸の夕日はどこでもきれいですね。
MEMO0016.JPG

朝走った後は(昼は暑くて走れない)、昼まで泳ぎまくります。
長距離を泳げるようになってから初めての海デビュー!
この海でなんとか海を泳ぐ感じがつかめました。
知らないところで、泳げないミャンマー人ばかりのところで溺れても海の藻屑になって終わりなので、波打ち際から200m弱うらいのところを行ったり来たり。
海岸沿いにずっと泳ぐのもいいのですが、波に対して平行になるとかなり泳ぎづらい。
ちなみに初日はパキスタンにサイクロンが接近していたとかでかなり波が高く、にごっていました。
海はあまり青々としてはいませんでしたが、ちょっと沖まで行くと南の海って感じの魚が泳いでいるのが見られました。
小魚の群れに突っ込んでしまった時は体中をつつかれまくりながら泳いだりしてかなり楽しいですね。

午後はあちこち歩き回ってくっちゃべってという感じでかなりゆっくり過ごしていました。

P1020462.JPG
この子はひかるちゃん。
このド田舎に1人日本人の奥さんがいたのですが、その方の子供です。
超かわいいいいです。
が、超超わがままです(爆
ほっぺたが白いのは「タナカ」を塗っているから。
タナカは清涼感があるのと日焼け予防のために女性はかなりの方がつけています。
木をすりおろして使います。

さて、海偏終わりです。
後、山偏で終わりです(爆
走る泳ぐ登るの他はしゃべる、たべる、しかしていなかったので何にもないんですよね~


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ビルマVJ 消された革命 [海外]



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私の愛する国の悲しい出来事に関する映画が公開されました。
以下、告知です。
***************************************


『ビルマVJ 消された革命』
●5月、シアターイメージフォーラムにてロードショー、ほか全国順次公開
●公式サイト:http://www.burmavj.jp/

監督:アンダース・オステルガルド
原案・脚本・助監督:ヤン・クログスガード
製作年: 2008年 85分
製作国: デンマーク
配給: 東風

<内容>
2007年ビルマで起きた反政府デモの映像を身の危険を顧みず、潜伏しながら世界へと発信し続けるVJ=ビデオ・ジャーナリストたちの姿を追ったドキュメンタリー

小型ハンディカムを携え、閉ざされたビルマ国内の情報を潜伏しながら発信し続けるVJ=ビデオ・ジャーナリストたち。監督アンダース・オステルガルドは、時折ニュースとして私たちも目にすることがあるビルマに関する断片的な映像の世界を超え、そうした映像を配信している現場のVJたちの世界を身近に体験させようと試みた。拷問や投獄のリスクを負いながらも、閉ざされた自国の情報を配信しようと活動を続ける若者たちは、まさにジャーナリズムの精神そのものを体現するビルマの一般市民たちである。撮影されたビデオ・テープは密かにビルマの国外へと持ち出され、衛星放送を通じてビルマ国内で放映されるほか、無償で国際的なメディアに配信されてきた。これまで世界は彼らの撮影した映像を断片的に目撃してきた。しかし、それらの映像はこの映画によって、初めて一編の大きな物語へと紡がれた。彼らが配信した、ジャーナリスト長井健司氏の銃弾に倒れるシーンは、今でも私たちの脳裏に焼きついている。(作品資料より)
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以上、告知終了

何度もビルマには行っているがついに爆発してしまった2007年。(この数ヶ月前にはサイクロンで壊滅的な打撃を受けた)
1989年にも暴動が起こっていて以後現在の軍事政権によって統治されている。
内情を知らない我々が行ってもあちこちで理不尽なことが起こるので軍による統治というものを肌で感じることができます。
2007年の暴動から1年くらいはビザが発行されず、入国できませんでしたが現在は渡航可能です。
インターネットもここ2年ほどで解禁されており一応使えるようです。
私も今年か来年には久しぶりに行ってこようかと思っています。
ビルマはとても親日的であのアウン・サウン・スー・チー氏のお父様であるアウンサウン将軍は英雄でありますが、日本で訓練を受けていました。
スーチー氏も日本への留学されていました。
日本人と見ると現地の人たちは親切にしていただくことが非常に多いです。
そんな地で日本人のカメラマンが銃弾に倒れたことはなんとも皮肉であります。

もし現地に行ったなら彼らがこのような行動を起こすことが信じられないと思います。
しかし、少し話せば軍政への怒りはきっかけさえあればいつでも破裂寸前であるのがわかると思います。
もしお暇があれば見ていただきたいと思います。


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